503 :名無しさん@おーぷん
東日本大震災の時に母親と祖母がタヒんだかもしれないと思いながら家に帰った時が修羅場だった。
当時、離島の中学校の生徒だった私は、学校で卒業式の予行演習をしていた。
その最中に地震が起きて大津波警報発令。学校からそれぞれ家に帰るように指示されたため、みんな家に帰る準備をしていた。
その時、ふと母親が本土の方にパートに出かけていること、祖母がこれまた本土の病院に行ったことを思い出した。(父親は単身赴任で関西方面にいた)
母親と祖母が本土に取り残されてること、下手したらいつも2人が乗っている船が津波に巻き込まれてしまってるかもしれないことに気づいた私は、先生に泣きながら相談。
ちょうど私の家の方角へと引率をすることになったので、途中まで先生が引率してくれることになった。その帰り道に地震で落ちた瓦や植木鉢が散乱してるのを目の当たりにしたらパニックになりそうだった。
先生達と別れて家に向かおうとした時に母親が私の名前を呼びながら走ってきた時は安心して泣いてしまった。
どうやら、たまたまパートが早く終わり、一便早い船に乗って帰ってこれたらしい。祖母も同様の理由で母親と同じ船に乗ってたこともその時聞いた。
もし、通常通りの便に乗っていたら、完全に巻き込まれていてタヒんでいたかもしれないと思うとゾッとする。
その後のライフラインが復旧するまでの生活、震災以降祖母がボケてしまったことなども私にとってはかなりの修羅場だった。
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